西オーストラリア州政府


教育と健康 |

良質な生活

西オーストラリア州の学校教育には、5大学、工業技術専門学校、公私立学校等があり、45万人が在籍しています。義務教育は6歳になる年から15歳までで、小学校は7年間、中学校は5年間です。生徒達は広範囲な職業に関する科目から選択して学ぶこともできます。

成績は学校により評価され、卒業条件を満たすと西オーストラリア州の教育修了証書が授与されます。大学や工業技術専門学校で、様々な資格取得を目指すこともできます。州各地にある州教育サービスや民間登録教育機関は、アドバイスやサポート、トレーニングを提供しています。

健康で豊かな人生
西オーストオラリア州の人々は世界でも大変健康で長寿です。平均寿命は男性が74歳、女性は80歳、死亡率は国内で最も低い値を示しています。人々は公的健康保険や民間保険を併用でき、健康で安心な生活を楽しんでいます。但し広大な土地や様々に異なる気候条件、遠隔地に暮らす人々といった壁が医療サービスの前に立ちはだかっています。これを打開するため、すべての健康管理の面において専門知識やスキルの開発を行っています。

医療サービス
連邦政府の健康保険「メディケア」は、無料または低コストで医療サービスを提供するもので、オーストラリア国民と永住権所持者に与えられ、西オーストラリア州保健省が管轄しています。パースには、小さな地域病院、大規模大学病院、女性専門病院、子供病院等の多くの公共の病院があります。その他に最新機器を備え、様々な医療サービスを提供するたくさんの私立病院もあります。

多様な社会や文化 |

急成長する社会

250万人を超える西オーストラリア州の人口は、国内全体の1/10にあたり、その内約160万人がパース首都圏に暮らし、残りは州各地域に分散しています。海外出身者は人口の27%で、自宅で英語以外の言語(イタリア語、中国語、ベトナム語、ドイツ語等)を話している人は12%です。こうした文化的多様性は、ダイナミックに躍動する社会の原動力となっています。オーストラリアの法に触れない限り、誰もが自由に自身の文化や信仰を表現することができます。

世界クラスの文化施設
州の世界クラスの文化施設や劇場は、国内でも評判の高い州の交響楽団のクラッシック音楽やバレエ、オペラ、モダンダンス、演劇などの本拠地となっています。毎年2月にはパース・フェスティバルが開催され、国際的な展示や国内アーティストのパフォーマンスが繰り広げられます。多くのプライベートや公共のギャラリー、博物館があり、それと共に巡回展も開催され、誰でも芸術を身近に鑑賞できます。パースでは、パース文化センターの活性化を図るために、現在大規模な改修を行っています。

最適なスポーツ環境
パースはコンテンポラリーな楽しみも満載です。有名スターの公演をはじめ、街なかのクラブやホテルでは地元ミュージシャンの演奏を楽しむことができます。ゴルフ場などのスポース施設も充実しており、しかも料金はリーズナブル。様々な種目の州代表チームは、国内でも高いレベルを誇っています。また市民も快適な気候や整った施設環境の恩恵を受け、年間を通じてインドアやアウトドアスポーツ、レジャー活動を満喫することができます。

地理・気候 |

変化に富んだ風景、環境、気候

歴史概要
面積250万㎢を超える広さの西オーストラリア州は、オーストラリア大陸の1/3を占めています。州は9つの地域に分けられ、それぞれに自然の織りなす景色と環境を楽しむことができます。州北部の白い砂浜やトロビカルな気候から、大都市パースや緑あふれるブドウ園、南西部の森、そして赤く乾いた土地が広がる奥地等、そこには信じられないほど多様な環境や人々の生活があります。そして世界で最も手つかずの海岸線は、全長12,500㎞にも及びます。

南北の気候
州の気候は、南北で大きく異なります。パースのある南部は、地中海性気候で平均日照時間が国内一長く、また四季を楽しめます。植物の咲き乱れるキングズパークとスワン川に囲まれたパースでは、天気の良い日には、人々がスワン川周辺で水泳、ヨット、ウォータースキー、魚釣り、サイクリング、ウォーキング、ランニング等のアウトドアでの時間を楽しんでいます。

北部には乾季と雨季のふたつの季節があります。乾季は5月から9月までで、青空の日が続き、日中は心地よい気温ですが夜はかなり低くなります。雨季は10月から4月までで、毎日のように雨が降り、湿度が高く雷雨も度々やってきます。日中の気温は35度位まで上がり、夜になると25度位に下がります。

西オーストラリア州の歴史と背景 |

若さと活力に溢れる州

歴史概要
パースは、1829年スワン川植民地の一角を占める街としてジェームス・スターリング総督によって拓かれました。総督は、「これほど美しい地は見たことがない」とパース地方の自然に感嘆し、この地を植民地候補として推薦、イギリス政府もそれを認め、1829年6月オーストラリア初の植民地として、西オーストラリア州に最初の移民が到着しました。

1829年8月12日、現在のパース市庁舎近くの木が伐り倒され、それがパース開発の始まりでした。この地域は、それ以来イギリス領となりましたが、5万年もの昔からこの土地に棲む先住民や、1600年代に西オーストラリア沿岸から入ってきたオランダやフランスの探検家達もいました。

パース市誕生:1856年
1901年、西オーストラリアは植民地からオーストラリア連邦の州へと移行し、パース市は州都としての大役を担うようになります。

第2次世界大戦後、パースには大勢の移民が流れ込み、新しい文化と伝統が混じり合う都市へと変貌し、1960年代から70年代にかけての鉱山発掘ラッシュにより、大規模な開発が行われ、高層ビルが立ち並ぶモダンな街となりました。起業家精神にあふれた80年代、落ち着いた雰囲気の90年代を経て、「大きな田舎町」からダイナミックに前進し続ける都市へと変化を遂げて来ました。

西オーストラリア州誕生:1901年
司法府は、最高裁判所を最高機関とする階層構造を形成し、西オーストラリア州最高裁判所長官は州司法長官でもあります。国内最高機関の裁判所は、オーストラリア高等裁判所です。

国際都市へ
近年、西オーストラリア州では暮らしやすい気候、活気ある経済、リラックスできるライフスタイル等に惹かれ、再び移民ブームが起きています。そしてそのことにより経済成長に更なる拍車がかかっています。生活・文化・教育・娯楽・ビジネスのすべてにおいて国際色豊かな都市を目指すため、パース・ウォーターフロントやパース文化センターを含む都市再開発に着手しました。